京アニ事件の被害者実名公表に対して思ったこと
京アニ事件被害者、残り25名の実名が公表された。
僕個人としては、この事件の実名報道は必要ないものだと思っていた。遺族の方も公表は控えて欲しいと言っていたみたいだし。
それに対して報道メディアは公表しないと事件の全容解明ができないから公表するよう抗議したとかなんとか。
そんな中、実名が公表されたということに関しては、
報道メディアはあんなこと言ってたけど、遺族の方々の気持ちの方が大切だし、公表されることなんてありえないだろうと思っていた。
実際公表する意味もよく分からなかったし、必要だとも思っていなかった。
なんなら記者が金儲けのために欲しかった情報だろう。
この程度の考えしかなく、つまり公表なんてありえないだろうなと思っていた。
そんな矢先に実名が公表された。京都府県警が実名を公表したい━━と、つい最近言っているとかなんとか耳にしてはいたけど、まさか本当に公表されるとは…。
京アニの代理弁護士が抗議してるところを見るに強硬したのか、実際のところはよくわからないけど。
とは言ってもそれでも僕自身は、遺族の方々はこれから大変だろうなー、とかその程度の興味しかなかった。
興味━━というと語弊があるけどそれだけ他人事のように考えていた。
以前から自分自身に対して思っていたことだけど、僕は感情がかなり薄い。
喜怒哀楽でいうならどれも乏しいと思う。特に怒りなんてほぼないに等しい。自分自身に対してイライラすることはあるけど他人に関してはあまり感じないというか。何かあってもこの人はそういう人なんだなーと勝手に納得してしまう。あまり人と関わってこなかった弊害だろうな。
今回の京アニ事件に関しても犯人に対してとか報道メディアに対して、「怒り」というほどの感情はなかった。
何も感じない━━というわけではないけれど。なぜ?とかどちらかと言えば疑問にしか思えなかったというべきか。とにかくその程度にしか感じられなかった。
今回のことに限らず何に対してもそうなんだと思う。映画とか読書とかもそう。自分の中で無理やり否定的にならないように無意識に納得させてるんだと思う。
韓国に対して嫌悪感はあるけど、この事件に関してはそうでもなかった。
罪のない京アニの方々が、犯人のめちゃくちゃな理由で巻き込まれて亡くなった。こんな理不尽な事件が起こってこの程度の考えしかもてなかった僕自身も何かがおかしい人間じゃないかとさえ思えてきた。
あまり他人に迷惑をかけないよう、嫌な思いをしたくないからできるだけ干渉しないように生きてきた人生ではあるけれど、それは人間として間違った生き方なのかもしれない。そんな風に今は感じている。
だからと言って何をどう変えていけばいいのかよくわかってはいないのだが。
メンタリストDaiGoの動画を見て、感じたことをふと書いてみたくなった次第です。
京アニ実名報道【人の死を金としか考えないマスコミ】の正体を解説【NHKも新聞もグル】
なんとなく無関心というほどではないとしても、そこまで何も感じていなかった自分が許せなかったというかなんというか。
アニメは好きだし、京アニの作品もいくつも見たことがある。そんなお世話になっているところに対してもそれだけの関心を寄せられなかった自分自身に嫌気がさすというか…、いまはなんかそんな気持ちです。
自分の気持ちをしっかり伝えたれる、語れる人はすごいなーと思います。
僕もそうなっていきたいけど難しい。そういう風に生きてきてないからなぁ…。憧れですね。